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剣埼(つるぎざき)〔〔大正5年達103号の命名では劍埼(劍は剣の異字体の一つ)となっているが、以下本文は全て剣埼とする。〕は、日本海軍の給油船〔/運送艦〔(給油艦〔)。艦名は三浦半島東南端の「剣埼」による〔#日本海軍艦船名考pp.206-207〕。 「志自岐」に続いて日本海軍の保有した2隻目のタンカー〔#日本補助艦艇物語p.221〕。 港内での重油補給を任務とした小型給油艦で、日本海軍初のディーゼル推進艦となった〔。 == 艦歴 == === 計画・建造 === 1916年(大正5年、「洲埼」を含む八四艦隊計画と同時期)に計画された〔〔。この当時の日本海軍の戦艦、巡洋戦艦の重油搭載量は約1,100トンに達していたが、従来の300トン積重油船ではその搭載に時間と労力がかかった〔#大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(2)画像1-2、千百噸積給油船製造ノ件〕。また重油輸送には建造中の給油船「志自岐」の他に少なくても2隻が必要とされた〔。そこで大正5年度の軍備補充費の雑船製造をやり繰りし1,100トン積重油船を1隻建造、翌年度以降に予算が許せばもう1隻建造することが1月27日に提案された〔。この提案は同年3月に認められ〔、5月31日に呉宛に製造訓令が出された〔。 同年6月26日に「剣埼」と命名〔。当初は大正5年度中(翌年3月末まで)に竣工の予定だったが、材料の遅れや後述のディーゼルへの改造に手間取るなど、後に竣工期日は7月末、8月末、11月末と3度変更された〔#T6公文備考21/竣工画像12-15、大正6年2月17日附呉鎮第321号の上申と同年2月24日附官房第524号の2の認許〕〔#T6公文備考21/竣工画像16-18、大正6年月日附呉鎮第321号の3の上申と同年5月4日附官房第524号の4の認許〕〔#T7公文備考22/起工、竣工画像49-54、大正6年8月8日附呉鎮第321号の4の上申と同年9月13日附官房第2485号の2の認許〕。翌1917年(大正6年)2月27日(または3月5日〔)呉海軍工廠で起工〔、6月20日進水〔〔、11月30日竣工した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「剣埼 (給油艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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